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医王寺について

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高田姫勝子から厚い信仰を頂いた尊像

医王寺について

御本尊:大日如来

 創建は記録が無く不詳ではありますが、前九年の役、後三年の役の際に源頼義とその子の義家により伽藍が建立されたのが始まりとされております。江戸時代には高田城より裏鬼門にあたることから、歴代高田藩主より厚い庇護を受けました。

 特に寛永年間(1624年~1643年)に建立された薬師堂は、当時の藩主松平光長の母である高田姫勝子が寄進されたと言われております。高田姫勝子はこの薬師如来を厚く信仰しておりました。

 

文化財

銅造如来坐像

 当寺の銅像如来坐像は、いわゆる童子形の薬師如来像です。制作年代は白鳳時代から奈良時代と推定され、左手に持物はございませんが、本来薬壺を持っていたと推測されます。童子のあどけないお姿が金谷薬師として信仰の対象になったと言われております。

 民謡「米大舟(べいだいしゅう)」の中にも、「田舎なれども金谷の薬師」と唄われており、古くから信仰があったことがわかります。

 平成3年6月に国指定重要文化財に指定され、毎年5月5日に御開帳法要を行っております。是非お越しください。

薬師堂

銅造如来坐像が安置されております薬師堂は、寛永年間(1624年~1643年)に、本像を篤く信仰した高田城主松平光長(みつなが)の高田姫勝子が建立したと言われております。