泉蔵院について
About SENZOIN

直江の津 最古の名刹
泉蔵院について
開山:大同4年(809年)
開山師:空傳(泉蔵人)
大同4年(809年)嵯峨天皇の時代、北面の武士「泉蔵人(いずみくらんど)」が自家を寺とし「空傳(くうでん)」と名を改め出家致しましたことが当院の開基です。
空傳の子も「空真(くうしん)」として出家し二代目を継承致しました。
歴史・由緒
御本尊縁起
真言宗開祖弘法大師空海は北陸行化の砌、御自身で刻まれた延命地蔵菩薩を空傳(当院開基)がまだ在俗の日に賜りました。その後に空傳は出家し、代々御本尊として仰ぎました。
歴代領主からの崇敬も厚く、上杉謙信公からは国家安全祈願の為に水田三町歩(一町歩=10反)を賜り寺院隆盛を極めました。
本堂の焼失
天正6年(1578年)お館の乱の戦火に遭いお堂や古文書すべてを焼失しました。その後上杉景勝の国替えもあり再建は進まず、しばらくは華園観音堂(現華園寺)の一房に尊像を置き雨風を凌ぎました。しかしその華園観音堂も慶長年中に高田へ移転することから、一念発起し本堂再建へ進んで行きます。
本堂再建
正保2年(1645年)の春、直江の浦に新潟から多くの材木を載せた船が美濃屋善兵衛(みのやせんんべい)宛て着きます。理由を聞くと、錫杖を携えた2人の僧侶が泉蔵院の堂建立の材料になる良質の木材を送りなさいとその対価を置いて去って行ったとのことでした。このことに人々は驚嘆し、当院の御本尊を「木流し地蔵」と称すようになりました。現在の本堂はこの当時に建造されものです。
雪堀り地蔵
天和2年(1682年)の冬、七尺(約2.1m)の雪が降り積もりました。堂房の損傷を多くの人が心配する中、一夜にして掻き落としたかの様に雪が消えました。このことから当時御本尊は「雪堀り地蔵」と称されました。人々はこの広大な仏力に大変信心され厚く信仰されました。
御前立地蔵縁起
当院の御本尊は秘仏ですが、その御前に地蔵菩薩が御前立としていらっしゃいます。元仁年中、御本尊遊行され月を経てもお戻りになりませんでした。時に一人の男が、当院の御本尊がいらっしゃらないことを不憫に思い暫くはこの地蔵菩薩を御本尊として安置しなさいと、持ってきた木造の地蔵菩薩を置き去って行きました。御本尊がお帰りになった後、この地蔵菩薩は御前立として当院を見守って下さっています。
親鸞聖人真像縁起
浄土真宗開祖親鸞聖人が五智国分寺境内に居る承元元年(1207年)頃、時の当院住職知運阿闍梨(三十二世)と交友が深く、親鸞聖人が勅免有り都へ帰る際、自ら尊像を刻みて形見として当院へ残されました。
大正の大変革
大正10年(1921年)境内の大整備を行いました。仁王門の新築、本堂の土台上げをはじめ内外の修繕、参道の整備等を行い現在の姿となりました。その際に京都から絵師を招き1年をかけて完成した地獄絵図が現在も飾られております。また、大正14年(1925年)には吉川区報恩寺からお堂を買取り焔魔堂としました。現在は老朽化の為焔魔堂は取り壊しましたが、閻魔大王はじめ十王は当院参道入り口に安置されております。
平成の本堂大規模修繕
平成12年(2000年)、本堂の大改修を行いました。壁から天井、瓦に至るまで大規模に修繕を行い、平成13年(2001年)3月11日に落慶致しました。
開山1200年
平成21年(2009年)、当院は開山1200年を迎えることができました。記念事業として、御本尊をはじめ両大師などの堂内のお厨子のお直しをさせて頂きました。